2014年7月18日金曜日

法律で決める家族・・・ねぇ?

昨日の最高裁の判決がかなりマスメディアを賑わしていますね。
DNA判定で血縁がないとわかった「父親」であっても、司法は父親と認めるべきとの判断をくだしたちという件です。

まったく理不尽とまでは言わないまでも、どこか釈然としない、というか、現代人の心情としてはやはり違和感が残る気がします。

DNA判定なんかなかった時代の法律なのに、という声も多いのですが、それよりも・・・

昔は、日本の家は、個人よりも「家」が大事とされていました。
だから、戸籍上の家族関係が重視されていたということになるのでしょう。
家長でもある夫は妻の行動の全てにも責任を追わねばならず、それが「過ち」であったとしても「家」としてそのまま受け入れるべし、というのが当時の常識で、その際に個人の気持ちが軽んじられていても世の中の考え方がそうなんだから仕方がないとされたことと思います。

しかし、今は男女同権で、子供の権利も尊重される(のが理想)時代です。
まして、個人より家を重んずる家庭がどのくらいあるというのでしょうか?

司法としては「秩序」を重視したのかもしれませんが、「家」中心の時代とは違うので、今は個人の気持ちや幸福を基調としてこその秩序だと思います。

まして、「社会全体で子育てを」なんて言われている風潮の中で、「法律上の家族」だけが子供の生育環境の責任者だという考えはおかしい。

昔の中国には「仲父」という存在がありました。
身分の高い人にとって親戚でもない「第二の父」みたいな意味です。今風にいえばメンターとも言えるでしょう。
こういった考え方を取り入れて、正式な親以外にもある程度法的な責任を負う存在を容認してもいいんじゃないでしょうか。

裁判所の権限を超えることかもしれませんが、ここはそういった「大岡裁き」を期待したかったところです。


0 件のコメント:

コメントを投稿